2009年8月アーカイブ

≪はじめに≫

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私は66歳の'元'末期がん患者です。

ステージIII-bの肺がんから遠隔転移し、ステージIVの末期がんに進行してしまいました。

しかしその後、奇跡の逆転ホームランを打って癌(がん)に打ち勝つことができました。

癌(がん)と闘い、癌(がん)を退治し、そして癌(がん)を再発させない。

そのためには、「自分の体内の癌(がん)細胞の扱い方をマスターする」ことが必要だということがわかりました。

健康な人を含め、全ての人の体内に癌(がん)細胞は存在するといわれます。

その癌(がん)細胞が体内で活性化し、正常な細胞を侵食し、悪性の腫瘍に病変すると癌(がん)になります。

私は癌(がん)完治後の今、体内に存在している癌(がん)細胞を抑え二度と活性化させない自信があります。

この自信のおかげで、癌(がん)再発のトラウマ(悪夢)に襲われることもありません。

このブログを読んで頂いている皆さんにも、癌(がん)に打ち勝つ自信を持って頂きたいと思います。

まず何はともあれ、癌(がん)を宣告され余命を告げられても決して諦めないことです。

医師が告げる「余命」は決して「絶対的な余命」ではありません。

医師の言葉を本音に置き直すと、きっと次のようになります。

「私たち医師は日本の医師の国家資格をもって医療に従事しています。」

「従って、日本国政府が認可した医療法・医薬品しか使用できません。」

「あなたの癌(がん)も、日本国政府が認可した医療法・医薬品によってのみ治療します。」

「しかしそうした場合、過去の例から判断して、あなたは●ヵ月しか生きられません。」

「もちろん、日本国政府が認可した治療法以外にも、世界には様々な癌(がん)の治療法があります。」

「また、我々の治療が根ざす西洋医学の範囲外にも、様々な癌(がん)の治療法があります。」

「残念ながら、我々日本国の医師免許を持つ人間は、こうした治療法をお薦めすることもできません。」

「さらに、あなたの病気に打ち勝つ精神力がどのくらいかによっても、この余命は劇的に変わってくる可能性はあります。」

「しかし私の立場では、過去の事例に基づいた余命しか申し上げられません。」

「ということで、私があなたの癌(がん)を治療すると余命は●ヵ月くらいですが、その治療を始めていいですか?」

医師があなたに本音でこんな話をしたとしたら、あなたはその医師に治療を任せるでしょうか?

癌(がん)に限らず、病気と闘うことは本人にしかできません。

医師はあなた以外にも何十人、何百人という患者を同時に診ているのです。

なので医師があなたの癌(がん)との闘いに常に付き添うことはできません。

ですから、医師が提案する治療法については、「良し」と思ったらやる。

そしてやると決めた治療法については担当医師を信頼する。

しかし、医師が言うことだけやっていたのでは、駄目だということです。

医師が言うことだけやっていたのでは、医師が言った余命どおりになってしまうということなんです。

今でこそ、私はこのようにもっともらしいコメントができるようになりました。

しかし、その私自身も、「持っても2年」と私に宣告した主治医に身を任せていたのです。

そうしたら主治医の予告どおり、様々な治療の甲斐無く、約1年半後に癌(がん)は末期まで進行してしまったのです。

家族がほかの治療方法を見つけてくれなかったら、抗がん剤でボロボロになった体であっさり臨終を迎えていたでしょう。

私が癌(がん)に打ち勝つことができたのは、息子・娘・家内の家族全員が、それでは駄目だと思ってくれたからです。

私の家族は、私の癌(がん)を治す他の治療法を見つけてくれて、私にそれを試す勇気を与えてくれました。

私が癌(がん)と闘った2年4ヵ月は、自分の身体、精神、心について深く考えた2年4ヵ月でした。

また、素晴らしい人間の絆を見つけることができた、そんな貴重な期間だったと思います。

是非この体験を、癌(がん)に苦しむほかの方々と共有させて頂きたいと考えました。

そして、一人でも多くの方に癌(がん)との闘いの「勝ち組」になって頂きたいと願っています。

そんな想いをのせ、息子の協力でこのホームページをつくりました。

私以外の、癌(がん)を克服した仲間たちからの癌(がん)闘病記も掲載しました。

多くの方々が癌(がん)に打ち勝ち、新しい人生のスタートを切ことができることを、心から願ってやみません。



「癌をやっつけるブログ」ホームページ主催者より
タイトル: 諦めないで!あなたにもできる癌(がん)の克服!
66歳 男 肺癌(がん) 
ステージIII-b⇒ステージIV(末期)⇒完治
私は、2005年に大動脈解離をやりました。

その1年後の経過観察中の2006年の6月19日に、肺に影が見つかりました。

PET検査の結果「上左肺S6に腫瘤、ステージIII-bの肺がんに矛盾しない」との所見がなされました。

肺がんの告知でした。

大動脈解離以来、それまでに何度も胸の撮影はしていました。

にもかかわらず、なぜステージIII-bに至るまで癌(がん)が発見されなかったのか。

未だにこれは納得できません。

PET検査の後に生検を行ないました。

生検とは、生針検査の略で、癌(がん)治療を始める前に行なうサンプルテストだそうです。

癌(がん)でないのに、癌(がん)用の治療をしてしまう医療ミスを避けるために行なうそうです。

具体的には、私の場合背中から針を刺して肺の患部細胞のサンプルをとり、悪性かどうかを見ました。

結果は悪性腫瘍の細胞でした。

肺がんであることの最終確認がおこなわれたのです。

しかし、その生検後しばらくして強い胸の痛みに襲われました。

肺に水が溜まった結果の痛みでした。

主治医曰く、

「癌性胸膜炎による胸水で予後不良です。」

「つまり、癌(がん)細胞が肺中にばら撒かれてしまった状態で難しい状況です。」

この主治医は大動脈解離のときからの主治医でした。

何でも正直に教えてほしいと頼んでありましたので、余命は長くて2年くらいと教えてくれました。

このとき、私は実は、生検を行なった医師に医療ミスがあったと強く感じていました。

生検は主治医ではなく新米の医師が担当しました。

うまく針を刺せずに、患部になんらかの損傷を与えてしまったのではないか。

その結果、出血やリンパ液などが胸水となったのではないか。

そう思ったのです。

これについては未だに病院を疑っています。

あまりにも、タイミングがよすぎるというか、突然の病状の進行に疑わざるを得ません。

私は愛煙家でした。

それを、大動脈解離を患ってからは一生懸命タバコを止めたのです。

他にも小まめに検査をするなど、それ以上大病をしないように用心をしていました。

にもかかわらず、何よりも恐れていた肺がんにかかってしまいました。

それも胸水で肺全体に癌(がん)細胞が撒かれてしまった。

さらにリンパ節にも転移している。

本当にたいへんなことになってしまったわけです。
診断の結果は、正確には「ステージIII-bの非小細胞腺がんの原発性肺がん」でした。

その後の癌性胸膜炎の胸水による播種で手術ができない状態になりました。

また、大動脈解離のせいで放射線治療もできないとのことでした。

主治医の見解は、

「抗がん剤での化学療法しか選択肢がない」

ということでした。

私は、早期発見を見逃したうえ、平気で「良い治療法がない」という病院の無責任さに憤りを感じました。

一気に失意のどん底にたたき落とされた気分でした。

それでも何とか士気を奮い立たせ、取り乱さないようにしました。

告知に同席した息子に頼み、インターネットを検索してもらいました。

セカンドオピニオンをどこに求めればよいか、探したのです。

その結果、粒子線法や免疫療法など、化学療法以外の様々な治療法を見つけました。

直ちにこれらの治療を専門に扱うクリニックをいくつか訪問しました。

主治医には内緒でした。

どのクリニックも素晴らしく綺麗で豪華なオフィスでした。

正直、「随分儲けているのだな」という印象を受けました。

訪問した結果、どの治療法のクリニックでも、私の病状ではお薦めできない、ということでした。

癌(がん)が進行性でステージIII-bであること。

肺ぢゅうに転移している可能性があること。

PET検査でリンパへの転移が確認されていること。

そして大動脈解離を患っていたことなどで、どの治療法も危険度が高すぎるとういうことでした。

再度失意のどん底にいたところ、息子がネットで癌(がん)の闘病をする人たちの書き込みを見つけて教えてくれました。

それを通じて通院治療をする多くの癌(がん)患者の方たちと知り合いになりました。

その一部の方たちの進言もあり、まずは主治医が推す化学療法に委ねてみよう、と決めました。

いまひとつ病院を信じることはできませんでした。

しかし他にこれといった癌(がん)の治療法は見つからなかったのです。

化学療法をしなかった場合、余命がどのくらい短くなるかはわからない、とも言われていました。

癌(がん)にかかった人たちは、皆こうして「選択肢のない選択」をしていくのか、と思いました。
そして2006年の9月初旬から、入院しての抗癌剤治療が始まりました。

最初は肺に溜まった胸水をドレインしました。

実際、肺に管を入れて、溜まった水を抜きました。

その後2週間ほど、腎臓の働きが良くなる点滴などで、抗がん剤投与に向けた体の準備をしました。

続く最初の2週間で、抗がん剤を少しずつ量を増やしながら投与し始めました。

最初に使った抗癌剤は白金製剤と植物アルカロイドという種類の抗癌剤の組合せでした。

その後は通院での抗がん剤投与を続けるという治療計画でした。

何クールをやるのか、投与する抗癌剤の量をどうするのか。

私が腎臓の機能があまり強くないので、状況を観察しながら見極めていく、ということでした。

この初期の抗がん剤治療の期間中は、多少の吐き気と食欲不振に加え、しゃっくりと便秘に悩まされました。

しかし、テレビなどで見たひどい副作用はなく、思っていたより楽でした。

6月の癌(がん)告知時に腫瘍マーカー(CEA)の数値は73.9でした。

それが抗がん剤投与開始から約1ヶ月半経過後の10月中旬には、26.9まで下がりました。

レントゲンで見る腫瘍のサイズも確かに小さくなり、気分的にだいぶ楽になったのでした。

その後は、通院ベースでの抗がん剤治療を継続しました。

2007年の1月には、腫瘍マーカー(CEA)が16.4まで下がりました。

あともう一息で正常値の5.6以下まで戻せそうだ!

というところまで来ている実感をもつことができました。
ところが2007年の2月を境に、腫瘍マーカーの値が上がり始めてしまいました。

具体的には2月23日時点でCEA25.5まで上がってしまいました。

今の抗癌剤が効かなくなってきたというのが主治医の所見でした。

前向きに癌(がん)と闘っていく気持に暗雲が立ち込めてきました。

最初の抗がん剤は、シスプラチン(白金製剤)とナベルビン(植物アルカロイド)という組合せでした。

これを5クール投与してきたところでの病状悪化でした。

そこで、抗がん剤をカルボプラチン(白金製剤)とタキソール(植物アルカロイド)という組合せに変えることになりました。

その結果、また一時的にCEAの値は5月11日に18.6と下がり始めたのでした。

しかし、このころから腎機能の低下が著しくなりました。

従来並みの抗癌剤を投与することは腎臓をダメにする可能性があるということで、薬の量が減らされました。

そして徐々に抗がん剤投与の周期も長くなりました。

要は、腎臓の機能障害を警戒し、抗癌剤を休む期間が長くなってきたのです。

投与する抗がん剤の量減少に比例するような形で、腫瘍マーカーの値は再び上がってきてしまいました。

そこで8月からは、タキソールの代わりにジェムザールという新しい薬に変えました。

しかし11月16日時点でCEAが40.1まで上昇してしまったのです。

さらに、別の腫瘍マーカーSLXが7月27日時点で一気に143.0と3桁に上昇してしまいました。

それまではずっとひと桁だったのです。
年近い化学療法で副作用も段々と苦痛になってきていました。

一番閉口したのは、点滴が血管にうまく入らず、皮下漏潤してしまったことです。

これも生検で針を肺に入れた新米医師の仕業でした。

故に、私は肺に水が溜まったのもこの医師の医療ミスだと疑っているわけです。

いずれにしても、腕がぶよぶよに腫れ、たまらない鈍痛に悩まされました。

通院とじわじわ上がり続ける腫瘍マーカーにも疲れてきていました。

そんなとき息子が、娘家族がいる米国への1週間の気晴らしツアーをアレンジしてくれました。

治療を渡米の前後2週間を含め、約1ヵ月にわたって休む不安はありました。

しかし気分転換も兼ねて家内と一緒に行ってくることにしました。

先生の許可も無事おりて、9時間近い飛行時間も、それほど気になりませんでした。

娘がいるロサンゼルスは、冬にも関わらず気候が温暖で、日中はみなさん半袖で過ごしていました。

私は病気で体感温度が人より5度以上低くなっているようでした。

外出時はセーターとウィンドブレーカーを着込んでいました。

息子の家族も途中から合流して、皆でコリアタウンに行って美味しい雑炊を食べたのが印象的でした。

それ以外にも家内と娘・孫たちは毎日外出していました。

息子はもっぱら娘の家に残って、仕事を。

私も家に残って、息子にコツを教わりながらインターネットで癌(がん)の情報を探しました。

癌(ガン)と闘う仲間を探していろいろと情報交換をしたりすることにもチャレンジしました。

「それじゃあ気晴らしにならないでしょう」と家内にたしなめられてしまいました。

しかし、このときの情報交換が、その後私の命を救うことになるとは、私も思いませんでした。
私は若いころから外国語が好きで、よく英語を勉強をしました。

また海外赴任も数回経験してきたので、外国の人と話すのは苦になりませんでした。

そこでロスに来たのを機に、英語の交流サイトの癌(がん)についての掲示板などに行きました。

そして、「日本の癌(がん)患者がアメリカに遊びに来たよ」という感じで、書き込みをしたのです。

もちろんすべて息子に教わりながらでした。

主に英語圏の様々な国の人たちから、多くのレスポンスをもらいました。

癌(がん)と闘う人たち、癌(がん)を克服した人たち、はたまた医療の専門家などからでした。

皆、日本から来ている癌(がん)患者の老人が書き込んだ窮状を理解してくれました。

少しでも力になってくれようと、タイムリーいろいろな情報を寄せてくれたのです。

そしてそれに対してこちらから返信の書き込みをしました。

すると、さらに次々と新しい書き込みが寄せられたのです。

こういう会ったこともない人とインターネット上で交流をする術(すべ)を私は知りませんでした。

教えてくれた息子にはそれ以来頭が上がりません。

息子がいなければ怪しいネット商法に引っ掛かかるのが関の山だったかもしれません。

そのインターネットのやり取りの中で、ダイエタリー・サプリメンツ(Dietary Supplements)の話がたくさんありました。

ダイエタリー・サプリメンツとは直訳すると「栄養補助食品」というような意味です。

日本では主に「健康食品」として販売されているものだということを知りました。

私は癌(がん)の告知を受けた時に、息子と様々な文献やインターネット上の情報を検索しました。

「がんに効く」とうたう様々なものがあるのだなと感心はしていました。

しかし、その「特効薬?」で癌(がん)が治った本人と直接やり取りをすることはありませんでした。

従って、命に関わる話でもあり、それぞれの「特効薬?」について、本気で調べてみることはありませんでした。

しかし、米国でサイトに書き込むと、インターネット発祥の地ならではの凄さでしょうか。

そういった癌(がん)との闘いに成功した本人たちから生の声のレスポンスがたくさんあったのです。

しかしその時は旅先でもありましたので、ずっとやり取りを続けるわけにもいかず。

とりあえず、癌(がん)を克服した15名のアメリカ人と、メールアドレスの交換をして日本に戻ってきたのです。
日本に戻ってから、ひと通りの再検査を行ないました。

そして、その後の治療方法について主治医と相談しました。

主治医の所見は次のようなものでした。

「他の部位への転移はないようだ。」

「腫瘍マーカーの値は少しではあるがまた上がっている(CEA=42.5)。」

「白金製剤と他の抗がん剤を組み合わせた化学療法では恐らく今後効果が期待できない。」

「進行性の非小細胞肺がんを対象とした分子標的薬で新しいものがある。」

「最近認可されたもので臨床結果に基づいた話しかできない。」

「その臨床事例の中で低い確率ではあるが、急性の間質性肺炎を起こし死に至ったケースがある。」

「他の副作用については、これまでの抗がん剤よりきついと思われる。」

「しかし他には効きそうな抗がん剤がない。」

「主治医としては試してみる価値があると思う。」

私はこれを受けて、この分子標的薬についていろいろと調べてみました。

ひどい副作用を伴う薬であることがわかりました。

知れば知るほど嫌な薬という感じでした。

一旦は子供のように「絶対いやだ」と駄々をこねました。

しかし、他に効く薬がないということもあり、覚悟を決めてこの分子標的薬の治療を受けることにしました。

万が一の間質性肺炎発症時の緊急対応のため、入院しての治療となりました。

始めて間もなく、それまでの抗ガン剤にはなかった吐き気とだるさが起こりました。

何よりも閉口したのは手足と顔・頭皮をはじめとする皮膚のかゆみと肌荒れから来る痛みでした。

痛みが日に日に激しくなり、ろくに眠れなくなりました。

それでも、「それは薬が効いている証拠」という医師や看護師たちの励ましを頼りに、何とか我慢しました。

そして分子標的薬の抗がん剤を始めてちょうど3週間後でした。

走ってきた主治医から「レントゲンを見る限り腫瘍が劇的に小さくなったようだ」と言われました。

これには、きつい副作用を耐えてきた甲斐があったと、嬉しくて思わず涙が出てきました。

しかしその数日後、血液検査の結果が出ました。

腫瘍マーカーCEAの値は103.2と跳ね上がってしまったのでした。
非小細胞肺癌(がん)を推し量る主な腫瘍マーカー'CEA'(5.6以下が正常値)の発病からの推移は以下のとおり。

▲73.9 2006年7月  癌(がん)告知時点

▼16.4  2007年1月 シスプラチンとナベルビンという抗がん剤の組合せで化学療法を始めて約4ヵ月経過時点

▲22.5  2007年2月 同じシスプラチンとナベルビンという抗がん剤の組合せをさらに1ヵ月継続した時点

▼18.6  2007年5月 カルボプラチンとタキソールという抗がん剤の組合せに変更後約3ヵ月経過した時点

▲29.8  2007年7月 同じカルボプラチンとタキソールという抗がん剤の組合せをさらに2ヵ月継続した時点

▲40.1  2007年7月 カルボプラチンとジェムザールという抗がん剤の組合せに変更後約3ヵ月経過した時点

▲42.5  2008年1月 米国旅行から戻った時点

▲103.2 2008年2月 分子標的薬での抗がん剤治療を始めて約1ヵ月経過した時点

(「▲」と「▼」は、前回測定と比べて値がそれぞれ「上昇」、「降下」したという意味)

<退院と脳転移>

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腫瘍マーカーの結果を受け、分子標的薬の投与は中止となりました。

私は失望の中、とりあえず退院して自宅に戻ってきました。

それから数日後のことでした。

家内:お父さんが突然ふらふら歩いてきたと思ったらいきなりバランスを失って倒れこんでしまった。

息子:すぐに話を聞きつけてやってきたら親父の様子がおかしい。
   
    何を聞いてもにやーっと笑って返事を返してこない。

私は記憶になかったのですが、家内と息子に言わせると相当おかしかったようです。

すぐに息子の運転で病院に連れて行かれました。

CT検査の結果、癌(がん)の脳への転移が発覚しました。

歩行、思考、言語などを司る脳の中枢が腫瘍で圧迫されて、おかしな言動の状態になったようでした。

病院に来てから脳の腫れを引かせる薬を飲み、私の意識状態はほぼ正常に戻っていました。

急きょ駆け付けた主治医から家内、息子と一緒に転移の告知をうけました。。

遠隔転移により私の癌(がん)はステージIVの末期がんに進行したのでした。

私と家族は絶望のどん底にたたき落とされました。

分子標的薬が効いて「劇的に肺の癌(がん)が小さくなった」と言われたわずか1週間後のことでした。

ただ、主治医曰く、

「肺の癌(がん)については大動脈解離のせいで放射線治療ができなかった。」

「しかし、脳の癌(がん)については放射線治療ができるので、やりましょう。」

「ガンマナイフの医者への紹介状を書きます。」

「大至急行くようにしてださい。」

ちなみに、ガンマナイフとは、日本語で定位的放射線治療という治療法のひとつだということをその時知りました。。

脳の病変部にのみ集中して放射線をかけるので、強い放射線を照射できるそうです。

私はすぐに立ち直ることができず、

「しばらく考えさせてください」と言って家に帰りました。

家では、私がふさぎ込み、家内がおろおろする中、息子がせっせと電話やインターネットに取り組んでいました。

「親父の米国の闘病仲間にメールしといたから、その返事を見て決めよう。」

「とにかく諦めるのはまだ早い。」

私の海外赴任についてきて現地校に通ったので、息子は英語が私よりも達者です。

米国で私が見つけた15名に加え、息子自信が追加で見つけた人たちに、今の状況を記したメールを送信したということでした。


<息子がインターネットを駆使して今後を指南>

返事はその翌日の明け方にはメールを打った全ての人から戻ってきたそうです。

さらに「メッセンジャー」なる電話せずとも対話ができるシステムを用いて、質問なども全部クリアにしたそうでした。

朝になると息子が結論をまとめて家にやってきました。

私自身は何を考えることもできない虚脱状態でした。

薬のせいかいつのまにか寝てしまい、息子が戻って来たということで家内に起こされました。

やや朦朧とする意識の中で、息子から聞いた言葉は次のようなものでした。

「アメリカの癌(がん)仲間が、『諦めるな、サプリで絶対治せるから』って言ってるよ。」

「駄目もとで取り寄せてみようよ。」

「ただ、みんな、『ガンマナイフはやっといた方がいい』って言ってる。」

「サプリが届くまでに紹介状のところに行っとこうよ。」

サプリとはダイエタリー・サプリメンツの略です。

息子から聞いた米国の仲間たちの話を総合すると、「ドクターズセット」というサプリが一番効くということでした。

「ドクターズセット」は、癌(がん)に対する効果が報告されているサプリ3種をセットにしたものでした。

米国では医者が癌(がん)患者に処方して、実際に癌(がん)治療に効果をあげているということでした。

息子がメールした合計25名は、みなそれぞれ溢れるほどの情報を送ってくれたそうです。

息子がその内容を精査した結果、「ドクターズセット」というサプリが今の私の状況には一番良いだろうと判断したのでした。

ちなみに25名のうち1名は、自らが「ドクターズセット」と化学療法の併用で肺がん(骨に転移していた)を克服していました。

別の1名は大腸がんで手術後に「ドクターズセット」を愛用して再発していない。

さらに3名が癌(がん)からはすでに回復しており、「ドクターズセット」に含まれる3種のうちどれか1種を現在毎日飲み健康。

ということで、医療の先進国である米国で癌(がん)を克服した25名の20%が何らかの形で「ドクターズセット」を使用している。

ほぼ諦めかけていた私に、海の向こうの癌(がん)を克服した先輩たちが、一条の光をもたらしてくれたのでした。
返事はその翌日の明け方にはメールを打った全ての人から戻ってきたそうです。

さらに「メッセンジャー」なる電話せずとも対話ができるシステムを用いて、質問なども全部クリアにしたそうでした。

朝になると息子が結論をまとめて家にやってきました。

私自身は何を考えることもできない虚脱状態でした。

薬のせいかいつのまにか寝てしまい、息子が戻って来たということで家内に起こされました。

やや朦朧とする意識の中で、息子から聞いた言葉は次のようなものでした。

「アメリカの癌(がん)仲間が、『諦めるな、サプリで絶対治せるから』って言ってるよ。」

「駄目もとで取り寄せてみようよ。」

「ただ、みんな、『ガンマナイフはやっといた方がいい』って言ってる。」

「サプリが届くまでに紹介状のところに行っとこうよ。」

サプリとはダイエタリー・サプリメンツの略です。

息子から聞いた米国の仲間たちの話を総合すると、「ドクターズセット」というサプリが一番効くということでした。

「ドクターズセット」は、癌(がん)に対する効果が報告されているサプリ3種をセットにしたものでした。

米国では医者が癌(がん)患者に処方して、実際に癌(がん)治療に効果をあげているということでした。

息子がメールした合計25名は、みなそれぞれ溢れるほどの情報を送ってくれたそうです。

息子がその内容を精査した結果、「ドクターズセット」というサプリが今の私の状況には一番良いだろうと判断したのでした。

ちなみに25名のうち1名は、自らが「ドクターズセット」と化学療法の併用で肺がん(骨に転移していた)を克服していました。

別の1名は大腸がんで手術後に「ドクターズセット」を愛用して再発していない。

さらに3名が癌(がん)からはすでに回復しており、「ドクターズセット」に含まれる3種のうちどれか1種を現在毎日飲み健康。

ということで、医療の先進国である米国で癌(がん)を克服した25名の20%が何らかの形で「ドクターズセット」を使用している。

ほぼ諦めかけていた私に、海の向こうの癌(がん)を克服した先輩たちが、一条の光をもたらしてくれたのでした。

息子の提案に従い、早速主治医が紹介してくれた病院に行きガンマナイフの説明を受けました。

ガンマナイフとは恐ろしい名称なのですが、「定位的放射線治療装置」としては最も普及しているものだそうです。

「定位」とは病変の位置を正しく定めるという意味だそうです。

病変部のまわりの細胞にできるだけ害を与えない放射線治療として注目されているのだそうです。

ガンマナイフは混み合っていて一番早くて1週間後しか予約がとれませんでした。

それまでは自宅で待つことにしました。

一方息子の方は、「ドクターズセット」で癌(がん)を退治したDonellyさんという62歳の男性と情報交換を続けました。

どのくらいの量をどういう頻度でどのくらいの期間服用すれば良いのか、などの情報を入手、整理してくれました。

「ドクターズセット」は、フラワーエッセンスという会社から発売されていました。

Donellyさんは中華系アメリカ人の主治医の方の薦めで抗がん剤治療とともに服用したということでした。

このフラワーエッセンスという会社は、偶然ですが在米邦人向けの日本語ページも持っていました。

現在は「ウェルプラザネット」という日本語サイトでこれを受け継いでいます。

幸運にも日本から限度額なくクレジットカードでの購入ができたのでした(※追記1=下部参照)。

そこで1ヵ月分の「ドクターズセット」の申込みをしました。

「ドクターズセット」に含まれる3種のサプリとは、以下の3つです(※追記2=下部参照)。

●ドクターズセット特殊配合「オリーブ葉スーパーエキス」

●ドクターズセット特殊配合「オーガニックプロポリス」

●ドクターズセット特殊配合「コルディセプスシナンシス」

ここでいう1ヵ月分とは、

オリーブ葉スーパーエキス 6粒

オーガニックプロポリス 9粒

コルディセプスシナンシス 10粒

の合計25粒を、4時間おきに1日5回飲む。

つまり1日合計125粒。

これは、Donelly氏の癌(がん)克服経験に基づいて割り出した分量です。

各サプリの服用の目安としてラベルに表示されている分量とは大きく異なるものです。

ということで、1ヵ月分の「ドクターズセット」を購入したのでした。

生まれて初めて飲むサプリの買い物が約15万円。

きっと、こんなふうにでもしないと、私みたいな年寄りはサプリを始めることはないんだろうな。

免疫療法や他の代替治療法が何百万円もすることを思い出しながら、これで治るなら「お安い御用」だと思いました。


※追記1 ドクターズセットの手配について

その後ドクターズセットについて多くのお問合せを頂きました。

その中にご自身のブログで、米国にお住まいのご家族に買って頂いて日本に送れば安く入手できるのでは、というコメントをされていた方がいらしゃいました。

そこでなぜ私が米国の娘に託さず業者から手配したかを注記します。

一点目:米国で買っても薬事法の関係で、日本への配達が実質できない。
少量なら関税を払えば配達を受けることは可能だが、量が多い場合薬事法に違反する輸入業者と看做される可能性が生じ、受取側も発送側も処罰の対象になりかねない。個人手荷物で人が持ち込むことはもっとできない。

二点目:関税、送料、(罰金)などを総合すると結局日本向けの正規業者から購入するのと大差ない。
現在日本向けに正規販売をしているところでは、数量をまとめて注文すれば割引率が大きくなる仕組みがある。特に大量注文なので、総合して比較すると大差ない。日本向けに正規に販売している業者から入手することで今までトラブルはなかった。

三点目:ドクターズセットは特殊配合である
ドクターズセットは通常単品販売されているオリーブ葉エキス、プロポリス、コルディセプスシナンシスの配合とは異なる。効果をより期待できる特殊配合がなされているとのこと。

以上、共有しますが、併せて細かい点を息子に確認をしてもらったので、ブログ内の表記などもところどころ正しい情報に改訂をしてもらっています。あしからずご了承ください。


ガンマナイフは、頭に金属の枠みたいなものを固定して行ないました。

照射に際して頭がずれて病変部を外したりすることがないように、ということでした。

特に痛みも副作用もなく終りました。

そして、その後1ヵ月間は全脳照射を行なうということでした。

全脳照射では、少量の放射線を何回にも分けて脳全体に照射します。

ガンマナイフでは狙いきれない小さく点在する病変部を焼く、というものでした。

これで脳の癌(がん)をやっつけるということでした。

一方で、肺の方の癌(がん)については、タキソテールという新しい抗がん剤を投与しましょう、という主治医の提案でした。

これに対しては、私は「しばらく考えさせて下さい」と言って帰ってきました。

肺のガンは、病院での治療法に頼らず、自分自身で治さなければならない、という気がしたのです。

病院の治療に100%頼る自分から脱皮した瞬間でした。

こうして、全脳照射を行ないながら「ドクターズセット」のサプリを大量に服用する日々が1ヵ月続きました。

「ドクターズセット」を飲んでからは不思議と体力が向上してくるような感じがありました。

2週間くらいすると、実際に食欲も少しでてきました。

全脳照射をする病棟には、私と同じように末期の癌(がん)患者の方々もたくさんいらしていました。

そういった方たちと顔馴染みになり、いろいろと話をするようになりました。

皆さん様々な治療法を併用されていらっしゃるということでした。

ある女性患者の方は、すっかり頭髪をなくされていました。

乳がんが再発し脳にも転移した為放射線の入院治療をされているということでした。

再発してから食事療法というのを始められたと言われていました。

なんでも玄米と野菜類しか食べない生活で、それで癌(がん)を退治された方が多いということでした。

私も「ドクターズセット」と合わせて始めてみようかと思いネットで調べてみました。

しかし、肝心の食事内容についてはインターネットには記載がありませんでした。

そういう治療法で商売をしている会社があるということはわかりました。

せっかくならその女性の方がかかっている会社でと思い、次回お会いした時に法人名を教えてもらおうと思いました。

しかし、その後その方とはお会いすることはありませんでした。

退院されるような体調には見受けられなかったので、もしや亡くなられてしまったのかと思いました。

戦友を失ったようなとても寂しくせつない気持になりました。

「明日は我が身」と悪い方にも考えてしまいました。

息子に言ったら、「その人は『ドクターズセット』を飲んでて駄目だったわけじゃないだろ、弱気になるなよ」と叱られました。
全脳照射が終わる1週間前に、腫瘍マーカーの検査がありました。

癌(がん)が見つかって以来、初めてだったのですが、体調が良くなってきていました。

もしかするとガンマナイフ・全脳照射と「ドクターズセット」で、癌(がん)が治り始めてきたのではないか。

そういう淡い期待がありました。

しかし検査の結果、CEAの値は100.1と相変わらず高い水準でした。

がっかりしていると主治医が言ったのです。

「もっと高くなっていてもおかしくないのに、わずかですが下がっているのはいい兆候です。」

「今はまず全脳照射に専念して、終わったらもう一度検査をしましょう。」

「その後は肺の抗がん剤を再開しましょう」

そういうものなのかなと思い直し、残る全脳照射をまずは終えることにしました。

併せて「ドクターズセット」の次の1ヵ月分を再オーダーしました。

そしてそれから約3週間後、脳のMRIと肺のCTを撮りました。

すると、脳は癌(がん)が消えて、肺も原発巣を除いてはきれいになっていました。

これには主治医もびっくりして走ってきて教えてくれました。

しかし分子標的薬のぬかよろこびの件もあるので、再度PETと腫瘍マーカーの検査をすることになりました。

そしてその結果には、主治医も私も家族も皆びっくり仰天しました。

PETの所見は、次の通りでした。

「左下葉S6胸膜直下に結節(前回と大きさは変化ない)。」

「両側縦壁、肺門、左鎖骨上穿にあった集積は見られない。」

「遠隔移転は明らかではない。」

つまり、最初に癌(がん)が発見されたときの状態に戻ったのです。

転移の形跡もない、ということなのです。

私も家内も涙がぼろぼろ出てきて止まりませんでした。

主治医は言いました。

「おめでとうございます。」

「信じられない結果ですが、間違いなく癌(がん)は回復に向かっているようですね。」

「脳はさておき、肺については説明がつきません。」

「何か代替療法をされていますか」

私は、「ドクターズセット」を飲んでいる旨をお話ししました。

すると主治医は、

「医師として医薬品以外の摂取により癌(がん)が治ることは認められません。」

「しかし、確かにやられていることが功を奏しているとしか言えません。」

「どうぞ続けてみられたらいかがでしょうか」

と言われたのです。

早速家内が息子と娘に電話をして状況を報告しました。

息子は気を抜かずに「ドクターズセット」を続けるよう念を押すばかりでした。

娘は電話口で家内と泣いてしまって、それ以上あまり話ができませんでした。

末期がんからの奇跡の生還へ、大きな一歩を記したのでした。
その後も、「ドクターズセット」を同じ量、飲み続けました。

そして3ヵ月が経過して、食欲もほぼ全盛期並みになりました。

一時は40kgまで落ちた体重も、50kgまで持ち直しました。

明らかに健康が回復してきている感じがしました。

何よりも通院しなくてよいのが精神的に楽で、好きなゴルフの練習も再開することができました。

もう成長を見ることが適わないと覚悟した3人の孫たちと、屋外で遊ぶことも普通にできるようになりました。

そして、経過観察の検査結果を聞く日が来ました。

私は大学の合格発表に行くような心持で家内と一緒に家を出ました。

癌(がん)発症以来初めて3ヵ月もご無沙汰をしてしまった病院の玄関前に着きました。

この病院のお世話になる必要は、もうないのか、としばらく感慨にふけっていました。

そして主治医が告げた検査結果は要約すると次のようなものでした。

「X線、PETともに異常を認めません。」

「信じられませんが、腫瘍はなくなっています。」

「腫瘍マーカーの値だけは、まだ正常とは言えません。」

「しかし、CEAは肺がんでなくとも数値が上がることがあります。」

「3ヵ月ごとに経過観察を続けましょう。」

ちなみにCEAの値は、10.2でした。

私はほぼこの結果を確信していたものの、思わず「やった!」とガッツポーズをとってしまいました。

その日は、2006年6月の癌(がん)宣告以来始めて、家内と2人で外食をしました。

家内の好きな京風豆腐懐石の店に行き、私は2年ぶりに好きなワインを飲みました。

ワインがこんなに美味しいと思ったことは未だかつてない気がしました。

でも少しで酔っ払ってしまいそうだったので、グラス一杯に留めて、あとは完治後にゆっくり楽しもうと決めました。

その後3ヵ月はDonellyさんのアドバイスに従い、少しずつ「ドクターズセット」の摂取量を少なくしていきました。

3ヵ月後には各種を毎回5粒ずつ1日4回飲むまでに減らしました。

体調の管理には十分気を付けました。

人ごみに行く時はマスクをし、風邪などもひかないように心がけました。

そして、3ヵ月後の検査では、腫瘍マーカーのCEA値は5.1まで下がったのでした。

一時は末期がんまで進行し死を覚悟しました。

しかし、家内、息子、娘の協力で一発逆転満塁ホームランを打つことができたのです。

実に原発性肺がん宣告の日から2年と4ヵ月が経過した2008年10月15日の水曜日でした。

癌(がん)との闘いに一転して勝利という名の終止符を打つことができたのでした。
12月には、家内とともに娘夫婦が住むロスに快気祝いを届けました。

ついでに東海岸のコネチカット州に足を延ばし、Donellyさん夫婦と感動の対面を果たしました。

前回ロスに来てDonellyさんはじめ皆さんとネット上で知り合ってからわずか1年。

しかし、大昔からの大親友のような気がしてなりませんでした。

Donellyさんは190cmもあろうかという巨漢でした。

とても末期がんだったとは信じられない顔色と恰幅のよさでした。

私をハグし、

「サプリ・ジャンキーの匂いがするぞ!」

と皆が笑う冗談を言う優しい心配りで私たち夫婦を大歓迎してくれました。

闘病当時の写真も見せてくれましたが、別人のように痩せこけて車いすに座っていました。

1年前に少し歩くだけでしんどくてロスのショッピングモールで一人立ち止っていた自分を思い出しました。

同じ道を闘った同志なんだという実感が強く湧いてきました。

家内の手作りのオルゴールをプレゼントしました。

生きている限りずっと夫婦同士でで友達でいよう。

そして一人でも多くの癌(がん)に苦しむ人たちの命を救おう、と約束しました。

私のこの闘病記に続き、Donellyさんの闘病記のダイジェスト版も載せました。

訪問時に本人から聞いた話と、本人が書いた日記の一部を本人の許可を得て私が日本語訳して掲載しました。

それ以外にも、Donellyさんの信頼する友人や、同じ「ドクターズセット」で癌(がん)を克服した人たちにも手記をもらうようにしました。

その後「ドクターズセット」はというと、1日3回毎食後に3種をそれぞれ2粒ずつ、毎日合計18粒を飲むようにしています。

これはそれぞれのサプリの通常の服用の目安量とほぼ同量です。

そして、これもDonellyさんに習って、家内にも同じ量の「ドクターズセット」を飲ませるようにしました。

家内は私より1歳年上です。

煙草はやらず、酒もほとんど飲まない人生で、これまで大病ひとつせず来ています。

Donellyさんの3歳年下の奥様が、やはり元気な人で、しっかりDonellyさんの介護をしていたそうです。

しかし、Donellyさんが治ってからしばらく寝込んでしまったそうです。

そこで、「ドクターズセット」を飲むようになってから元気になられたそうだという話を聞いたのです。

私も自分だけ元気になって家内が倒れてしまっては、息子や娘に合わせる顔がありません。

今は私も家内もすこぶる元気で、お互い100歳まで生きようと話しています。

~あとがき~

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その後も半年に一度検査を受けるようにという主治医の指示でした。

先月検査を受けましたが、癌(がん)は見つかりませんでした。

大動脈解離の方も「ドクターズセット」のおかげか、胸の痛みや激しい息切れ・動悸はなくなりました。

「医者は病気を見つけてあれこれいじるのが仕事なので、あまり検査を受けてばかりいると元気な人も病気にされてしまう」

Donellyさんの言葉ですが、私もそのとおりだと思います。

今後は1年に一度の検査だけにしようと考えています。

そして3年くらいしたら、もう検査はしないで自然の状態を大切にしよう考えています。

放射線を浴びることも癌(がん)細胞が活性化する理由になりうるからです。

私は「ドクターズセット」と出会って以来、いろいろと勉強をしてきました。

人間の体の働きと摂取する栄養素との関係、健康と生活習慣との関係などについてです。

それで私が得た最大の収穫は、どうすれば自分が健康でいられるのかをマスターできたということです。

「どうすれば」とはつまり、「どういう生活を送り、何を栄養素として摂取すれば」という意味です。

自分の健康法をマスターしたということで、癌(がん)細胞もコントロールできるようになったと思っています。

一番いいのは病気をしないことです。

実際に癌(がん)などの大病にかからずに大往生される方々も大勢いらっしゃるわけです。

そういう人たちは、

①遺伝子が病気にかかりにくいものだったり、

②生活習慣が健康的なものだったり、あるいは、

③病気予防のため栄養素の補給を心がけてやっていたり、

という3パターンのいずれかもしくはすべてに当てはまるのでは、と思います。

しかし、健康法をマスターしていない人はたいてい病気にかかってしまいます。

そこで、もし病気にかかってしまったら、そのときは「これはチャンス!」と前向きに考えることです。

それは自分の体について理解を深め、そこから先、健康でいられるための方法をマスターするチャンスです。

そういうチャンスが自分にも回ってきたのだと、思うことです。

まずその病気について家族とも相談しながら、治療法について自分なりのやり方をマスターすべきです。

そうすれば、2度と大病をしない生き方というのが体得できるはずです。

この考え方は、30歳を過ぎたら老若男女に関わらず、皆さんが実践されるべきだと思います。

では、このホームページに訪れて頂いた皆様の末永いご健勝とお幸せを、心よりお祈りして、「あとがき」と致したいと存じます。


お問合せ先メールアドレス: gan.kokufuku@gmail.com

2009年5月1日

タイトル: Don't Kill Cancer, Learn How to Live with Cancer (癌(がん)は治すより付き合え)
52歳 男性 食道がん 
食道がん発病⇒全快⇒胃がんで再発・肝臓転移⇒完治

私は2003年に食道がんを患いました。

口臭がすると、周りの人たちに言われ、気になっていました。

胸やけがきつく、胃のあたりに不快感もありました。

妻のカレンが友人から食道がんは口臭がきつくなると聞いていたので、医者に診てもらうことにしました。

検査の結果は「胃炎」の診断で、癌(がん)は発見されませんでした。

しかし胸やけと胃の不快感が治まっても、口臭が治らないのでおかしいと思いました。

そこで、カレンが見つけた食道癌の治療実績で有名な先生に診てもらいに行きました。

内視鏡で食道をくまなく診てもらった結果、食道の下部、胃との境の近くに腺がんが見つかりました。

2週間後に入院して、内視鏡による病変部摘出手術を行ないました。

その後3年間は、半年毎に精密検査をしていたのですが、再発はありませんでした。

早期発見だったということで、4年目以降は年1回の検診に変わりました。

しかし私は喉に管を通すが大の苦手で、どうしても嗚咽をしてしまいます。

胃カメラや内視鏡を飲んだあとは、いつもしばらく吐き気と喉の違和感がありました。

食べものが喉を通らず、苦戦をしていました。

そこで医師に相談したところ、

「4年目以降の検診は内視鏡はやらずにX線、超音波などだけでいいでしょう」

ということでした。

そして2008年の検診で、胃がんが見つかりました。

PET検査と超音波の再検査の結果、肝臓にも癌(がん)が発見されました。

「元の食道がんからの転移・再発なのか、原発性の胃がんなのかはわからない。」

「肝臓は原発巣ではないだろう。」

「胃がんは手術しましょう。」

「開いてみてからの判断になりますが、胃のかなりの部分を摘出することになると思います。」

「肝臓については、肝機能は正常に近い状態なので、内科的局所療法を行ないます。」

「しかし、リンパを経由した転移なので、まだ見えていない他の部位への転移も考えられます。」

「抗がん剤も使いましょう。」

という医師所見でした。

私の祖父も胃がんで胃を1/3切除しました。

しかしそれからすっかり食が細くなり、どんどん痩せて元気を失ってしまいました。

そして結局そのまま寝たきりになって亡くなってしまったのです。

当時と今は医療事情が違うとはいえ、胃を切除して元気でいられる気がしませんでした。

何とか手術をせずに治す方法はないかと医師に相談しました。

余命を縮めることになるがいいかと逆に厳しい現実を認識をさせられる結果となりました。

まさか末期で再度癌(がん)が見つかるとは思っていませんでした。

しかし、途方に暮れてばかりいても埒が明かないので、会社に一時休職の手続きをとりました。

そしてカレンと今後のことについて話し合いをしました。

カレンとはお互い再婚で、5年前に一緒になってから娘のトレーシーが生まれました。

私はなんとか生き延びて2人を支えたい、と話しました。

おまけに私は若くして食道がんをやっているので、満足な生命保険にも加入できていなかったのです。

カレンは涙をこらえながら、

「家族の心配なんかしないで、まず治すことだけを考えましょう。」

と言ってくれました。

しかし、いいアイディアは浮かびませんでした。

カレンは数日にわたって友人や親戚にいい方法はないかと聞いて回ってくれました。

そんな中、カレンの友人の一人が、あることを教えてくれました。

漢方を取り入れたオルターナティブ・メディスン(代替医療)の医師を知っているというのです。

我々はとにかく可能性は全て当たる覚悟で、その医師にアポを取って会いに行きました。

残念ながら、その医師は新しい患者をとることができない状態でした。

しかし、同じ病院のネットワーク内で同様の代替医療について詳しい医師を紹介してくれました。

そして、その紹介された医師に、

「最悪の事態を覚悟しているのなら、これを一緒に試してみる価値はあります。」

と言われ、代替医療の内容を聞きました。

それは、次のような内容でした。

「臨床で抗がん作用が実証されているハーバルメディスンを飲みます。」

「具体的には薬草2種に高濃度プロポリスを合わせた3種を大量に飲みます。」

「そうしてがん細胞の増殖を抑えます。」

「一方で、抗がん剤で癌(がん)を攻撃して休眠させます。」

その医師曰く、

「癌(がん)は完全に消滅させるのは無理で、体の中に残ります。」

「健常者にも癌(がん)を抱えているが発病していない状態の人たちがたくさんいます。」

「要は、癌(がん)が活動して正常な細胞を悪性の腫瘍に病変させなければ、致命傷にはならないわけです。」

「さらに、食生活や生活習慣を癌(がん)が活動しにくいものに変えていきます。」

「そうすれば半永久的に体内の癌(がん)と共存していくことができるのです。」

これで治るという確信は全くなかったものの、他に頼る筋もありませんでした。

我々はその医師の推奨する代替療法に賭けてみることにしました。

私はフットボールチームのガードをやっていたので、体力には自信がありました。

抗がん剤は限界まで強いものを点滴で最短のスケジュールで入れてもらうことにしました。

医者がいう「ドクターズセット」という3種のサプリを大量に飲みました。

そして、何回もの抗がん剤投与、何回もの入院、何回もの検査を経て、半年後、私は癌(がん)を休眠させることに成功したのです。

検査の結果が、癌(がん)が活動をしていない数値まで下がったのでした。

それから半年が経った今でも、私は「ドクターズセット」を医師の薦めで継続して飲み続けています。

そうすることによって、体内の癌(がん)を抑えているのです。

飲む量は治療開始時の5分の1程度ですが、一旦休眠させれば、その程度の量で癌(がん)は抑えられるようです。

そしてカレンもトレーシーのために一緒に飲むことにしました。

今は、私は研究職の職場に復帰し、再発前以上の仕事量をこなしています。

休職中に文句ひとつ言わずに私を待っててくれたボスと同僚たちに恩返しをしています。

そして、5年後には保険にしっかり加入したいと考えています。

事故などで私にもしものことがあっても、カレンとトレーシーにそれなりの貯えを残せるようにしたいのです。


お問合せ先メールアドレス: gan.kokufuku@gmail.com
タイトル: Treating and Preventing Feminine Cancer (女性の癌(がん)治療と予防)
57歳 女性 乳がん 
乳がん発病⇒全快⇒3年半後再発⇒完治

私は48歳のときに乳がんの手術をしました。

早期発見だったので、病変部とその周囲だけを切除する温存療法でした。

その後、抗がん剤でしばらく治療をし、全快したといわれました。

しかし3年半後、52歳になってからマンモグラフィで再発が確認されました。

「今回はリンパへの転移の可能性があります。」

「左乳房全摘および左腋窩リンパ節郭清の必要があります。」

と医師に言われました。

私の家系は癌(がん)家系です。

この再発時は、ちょうど10歳上の兄が肺がんを克服したばかりでした。

兄に相談をしたところ、

「メスを入れて体の一部を削り取るようなことはやめたほうがいい。」

「私がいい医者を紹介してあげる。」

ということで、転院を検討することにしました。

紹介された中国系アメリカ人のお医者さんは、幸い同じ医療保険ネットワークに入っていました。

保険が効くことがわかったのです。

なので、会いに行きました。

長いストーリーを要約すると、

放射線療法と化学療法と大量の「ドクターズセット」摂取の組合せによる治療でいくことになりました。

兄が行なった治療とほぼ同じ内容です。

そして、約4ヵ月後には癌(がん)を退治することに成功しました。

それから約5年が経過しましたが、兄の薦めで「ドクターズセット」を飲み続け、今回は再発していません。

最初に乳がんになったときからからこの医師にかかっていれば、再発はしなかったはずだと思います。

私はヨガのインストラクターをやってきました。

その結果、東洋の健康法には造詣が深く、サプリメンツの効能も最初から信じることができました。

しかし、そういう世界に無縁の兄がよくこんなサプリメンツの大量摂取を許容したものだと驚きました。

後で話を聞いたら、兄嫁のリンダが懇々と説得をしたそうです。

病院が嫌いな兄が入院しないで済むよう、送り迎えをリンダがしてあげることを条件に納得させたということでした。

いずれにしても、新しい医師による治療法で乳房を摘出せずに済みました。

これは、女性にとって、とても画期的なことだと思います。

女性には、乳がん、子宮がん、卵巣がんなど、女性特有の癌(がん)があります。

日頃からこれらの癌(がん)の可能性と向き合う強いストレスがあります。

そのストレスで癌(がん)が誘発されるような悪循環があるような気がしていました。

特に乳がんは女性としての外見を維持できなくなるため、非常に高いストレスがあります。

しかし、仮に癌(がん)が発見されても、手術をせずに治せるとなれば別です。

それほどストレスを感じずに生活ができると思います。

兄や私のように、完治後もサプリメンツで再発予防ができます。

そうすれば、ましてや安心だと思います。

私は、この体験以降、私のヨガのクラスに来る生徒さんたちに「ドクターズセット」を薦めています。

皆、癌(がん)をはじめとした成人病の予防ができていると感謝をされています。


お問合せ先メールアドレス: gan.kokufuku@gmail.com
タイトル: When You Fear You Have Cancer in Your Gene (癌(がん)家系の人の癌(がん)予防)
68歳 男性 肺がん 
肺がん発病⇒骨転移⇒完治

私はもともと家系に癌(がん)が多く、父も祖父も肺がんで亡くしています。

妹は乳がんで片方の乳房を失っており、父の妹も子宮頸がんでした。

ですから私の妻のリンダは、私と結婚して以来、私に強く癌(がん)の定期検診を受けることを進めていました。

しかし、もともと医者嫌いの私は、言うことを聞きませんでした。

そして60歳の大台に乗った途端、原因不明の背痛に見舞われたのです。

立っていても寝ていても痛みが治まらず、市販の痛み止めはまったく効きませんでした。

それでも我慢して仕事をしていたのですが、痰に血が混じり出してそれを見たリンダに強引に医者に連れていかれました。

検査の結果、肺がんだとわかり、手術をして肺を切除しなければ治らないと言われました。

私は医者が嫌いな以上に、体を切り裂かれることが嫌だったので、断固として'No'だと言いました。

リンダは毎晩私に手術をするように泣きながら懇願しました。

私にはどうしても体の一部を切り取って健康が得られるとは考えられませんでした。

ただ、リンダがどうしてもというので、医者を変えて再検査を受けてみることにしました。

新しい医者は漢方も取り入れる中国系アメリカ人医師でした。

どういう病状でも手術はセカンダリーオプションとしてのみ考えるというポリシーのドクターとのことでした

(訳注:セカンダリ-オプション=第二の選択肢、つまり手術よりも他の治療法を優先する)。

そうこうするうちに癌(がん)が発見されてから1ヵ月が経過し、突然猛烈な胸の痛みに襲われました。

新しい医者が所属する病院に救急車で運ばれました。

骨シンチなど詳しい検査の結果、癌(がん)が骨に転移し、胸椎が一部溶けて薄くなっていることがわかりました。

その中国系医師曰く、

「私でなくても手術はお薦めしない状況になりました。」

「すぐに、放射線治療と抗がん剤による化学療法を開始すべきです。」

「並行してがん細胞をやっつける効果が報告されているダイエタリー・サプリメンツを3種類飲んでください。」

「これは、私の経験から目安となる量を教えるので飲める限り飲んでください。」

「あと、癌(がん)をやっつけながら溶骨対策のための薬も入れます。」

「よいですね。」

有無を言わせぬ口調に強い意志と自信を感じました。

リンダと相談して、私は先生の指示に従うことにし、何枚もの治療同意書にサインをしました。

肺がんになってみてわかったことは、私は、医者よりも、手術よりも、病気でベッドに寝ている自分が嫌いだということです。

その嫌いな自分からなんとか早く脱出するために、医師の指示どおりしました。

放射線治療と抗がん剤投与をせっせと続けながら、医者が指定した3種のサプリメンツを黙々と飲んだのです。

3種のサプリメンツとは、

「オリーブ葉スーパーエキス」

「オーガニックプロポリス」

「コルディセプスシナンシス」

の3つです。

この3種を含み、最も純度が高く、含有量が豊富なものが「ドクターズセット」でした。

「ドクターズセット」はフラワーエッセンスが販売していました。

現在はウェルプラザネットで販売しています。

私は、医者の推奨どおり3種のサプリをそれぞれ2日で1瓶空けるペースで服用しました。

常にげっぷが3種の入り交ざったものでやや閉口した以外は特に大きな問題は感じませんでした。

一方、放射線治療と点滴による抗がん剤治療には、毎回リンダに病院への送迎をしてもらいました。

私は入院だけは嫌だったのです。

辛く憂鬱で、決して終わりが来ないのではないかと疑心暗鬼になる毎日でした。

最初は治療の甲斐無く、どんどん腫瘍マーカーの値は上がって行き、CEA:203までいきました。

しかし最初に癌(がん)が発見されてからから4ヵ月くらいで治療の効果が出始めました。

それから半年後にはCEAが4.5まで下がったのです。

一時は体力が低下し一人では歩行困難でした。

しかしそのころには一人で病院に運転して行って支えなしで院内を歩いていました。

それ以来癌(がん)を完全に克服し、元の保険代理店の仕事に戻ることができました。

3年前にその仕事も引退し、今は病院のボランティア活動に時間を捧げています。

そして、12人の孫と2人のひ孫に囲まれた幸せな生活を送っています。

私が通院しているときに同じように放射線治療を受けていた人たちがたくさんいました。

そのほとんどは、私と主治医が違うか同じ主治医だが患者本人が嫌で、サプリメンツを飲んでいませんでした。

後日ですが、当時の患者の約2割が生存者として癌(がん)を克服できたという話を聞きました。

私はあるとき主治医に聞きました。

「生存者は皆ドクターが奨めるサプリメンツを飲んでたのか?」

主治医はニヤッと笑って、ウィンクを返しました。

私は「ああ、そういうことか」と納得しました。

「医者としてはサプリメンツで病気が治るとは言えない。」

「しかし飲まなかった人で癌(がん)を克服し5年以上生存している人はかなり少ない。」

ということでした。

Yoshiのブログで私以外に紹介されるアメリカ人たちも、ほとんどがこのサプリメンツを飲んでいるのだと思います。

もしがん家系を患った人たちがいらっしゃったら、是非、予防の目的で「ドクターズセット」を飲み始めてほしいと思います。

今では、私の薦めでリンダも、姉も妹も叔母も叔父も、そして再発予防に私も継続して飲んでいます。

そして皆、癌(がん)は発病、再発していません。

今後も、今の病院でのボランティア活動を続けたいと考えています。

そして、癌(がん)に負けないコミュニティーを皆で作っていきたいと思います。


お問合せ先メールアドレス: gan.kokufuku@gmail.com